岡崎ルネサンス

ルネサンス活動

手彫りのハンコ

インフォメーション
場所: 愛知県岡崎市羽根町東ノ郷12-1
ホームページ: https://www.k-inbou.jp/
手彫りのハンコ

 

 

もし、あなたのお宅に古いハンコがあったなら、印字面の底の部分を覗いてみてください。一般的なハンコは平坦ですが、チリメン状に波打っていたり、ゴツゴツと削ったような痕があるなら、 これは手彫りである証拠。現在のハンコのほとんどが機械彫りであるのに対し、かつては一本一本が職人・印章彫刻士の手で作られていました。
機械彫りハンコが多く作られるようになったのは1960年代の高度経済成長期。需要に供給が追いつかず、安価に大量に生産する手段として発達しました。併行して印章彫刻士は職を失い、伝統の技の継承も困難な状況が現代も続いています。
この時代に敢えて手彫りにこだわる職人がいます。神尾印房二代目・神尾尚宏さん、37才。さらにその伝統を次世代に伝えるべく邁進する若き印章彫刻士を紹介しましょう。

 

※現在、一般的に「印鑑」という名称が使われていますが、もとは押捺された印影を指す言葉です。他に印章とも呼びますが、今回、神尾さんを紹介するにあたり、ご本人にならって「ハンコ」と呼ぶことにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 


ガラス越しに映し出される若き全技連マイスターの仕事


岡崎市羽根町、JR岡崎駅にほど近い住宅街に神尾印房はあります。大きなガラスの窓越しに、今日も神尾さんのハンコを彫る姿が見られます。台(印床・いんしょう)に素材(印材・いんざい)を設置し、印刀(いんとう)でミリ単位以下の彫りを入れる緻密な作業。刃先がまるで神尾さんの分身か、体の一部のようです。

 

 


 

神尾さんは一級印章彫刻技能士(厚生労働省)、一級印章彫刻師((公)全日本印章業協会)に認定され、またかながわ技能フェスティバル第38回技能コンクール印章彫刻の部で優勝。他に全国印章技術大競技会、大印展などで多くの受賞歴があります。
全技連マイスターとは(一社)全国技能士会連合会により優れた技術を有することが認められた技能士。
平成28年、神尾さんは全技連マイスターに認定されました。印章彫刻の部で最年少、愛知県で初という快挙です。

 

 

 

 

 

 

 


唯一無二、一生モノの「美しい道具」の魅力


機械彫りが主流のこの時代に、なぜ手彫りにこだわるのか。神尾さんは3つの理由を挙げられました。
一つに、長期の使用に耐える品質が得られること。機械彫りの多くが安易に材質を選ぶ傾向にありますが、手彫りの場合、職人が自分の目で見、手で触って印材を選びます。たとえば同じ象牙でも、一つひとつの性質は全く異なるのだとか。神尾さんはそれらの特徴を見極め、数年寝かして経年変化を確認するなどして、一生モノのハンコを作ります。

次にオリジナル性。機械彫りは多くがデータとしての書体を加工して使いますが、万が一にも同じ書体が生じないとも限りません。手彫りの場合、その心配は皆無です。
そして最後に神尾さんが挙げたのが、美しさ。職人が技と魂をつぎ込んで作った一本は、確かに作品とも呼べる美しさです。このことに神尾さんは「いえ、道具です。しかし最高に美しい道具を作りたい」とおっしゃいました。

 

 

 

 

 

 


夫婦二人三脚のハンコ作り


神尾印房では顧客との打ち合わせにも大きなウエイトを置いています。何のために、どういったハンコを作りたいのか。「ただ必要だったから」と来店した人とも、時間をかけてその答えを導きだします。「一生ものだから、納得した上で買ってもらいたいんです」と神尾さんは語ります。


接客は妻・友里(ゆり)さんの担当です。結婚前の一代目の時代から店を手伝ってきた友里さんは、印章アドバイザー(愛知県印章協同組合)の資格もお持ちです。あるお客さんは、孫達全員に同じ印材で同じ彫り方で作ってほしいと来店。「どの孫も自分にとって同じ大切な存在。将来もハンコは残り、孫達を見守ってくれますものね」と話しています。傍で作業を続けながら、神尾さんはイメージを練り上げます。「このお客さんのために、どんなハンコを作ってあげよう」。神尾印房のハンコは、友里さんと神尾さんの二人三脚で作られていると言って過言ではないでしょう。

 

 

 

 

 


デザインを起こすにあたり、特に神尾さんがこだわるのは書体と漢字です。一般にハンコに用いられる書体は篆書体、古印体、印相体などですが、神尾さんはこれにこだわらず、「六書(りくしょ)の法則」(象形、指事、形声、会意、転注、仮借)などで一文字一文字の原理を紐解き、使用者の思いや目的を下敷きに印稿(下書)を作成します。
次に印材の表面に墨と筆で直接、印稿を写します。文字を反転させなくてはならないので大変そうですが、神尾さんの脳内には座標軸のようなものがあり、難しさの全くない作業なのだそうです。

 

 

 

印面に写された印稿。かすかに描いた方眼をもとに、直接墨入れします。

 

 


ハンコを彫るのに用いる刃物は印刀といいます。神尾さんは自ら刃を研ぎ、これに持ち手を加えてオリジナルの印刀を製作します。その刃先に全技連マイスターの技と印章彫刻士の誇りを込め、一本の線、一枚の面を彫るのです。

 

 

このハンコの直径は約16mm。 いかに精密な作業かがうかがい知れます。

 

 

 

 


 


父の記憶・一代目が奏でる印刀の音


神尾さんが印章彫刻士の道を歩むには、多くの人の影響がありました。
一人に小学校時代の図工の先生。作品にメッセージを込める大切さを教えてくれました。
地域の人たちの応援も欠かせません。小学校の版画の作品展で神尾さんが賞を取ると、「やっぱりハンコ屋の息子だね」と喜んでくれました。
そして何より大きいのが神尾印房初代の父・神尾誠さんの存在です。

 

 

 

 

 

誠さんは足に障がいを持っていました。高校卒業後に就労支援で印章彫りの技能訓練を受け、他店で修行後、兄の営むうどん店に間借りし、営業を開始します。「仕事は下請けが中心でしたが、時に不自由な足で客席を回り、うどんをすする客を相手にハンコを商ったようです。大変だったと思いますよ」
ようやく現地に小さな店を構えたのは昭和48年(1973年)。
店内には常に誠さんのハンコを彫る音が流れ、昭和55年(1980年)生まれの神尾さんはこれに耳を傾けて育ちました。「ビリビリというかボリボリというか。彫るというよりノミで連打する音といった方が近いかも知れません」
道具の使い方も自然に身に付き、神尾さんは幼少期より印章彫刻士になる決意を胸に抱いていました。
「父の仕事、仕事をする姿、そして印刀の音の記憶が僕の財産です」
もう一つ根底に、モノ作りの喜びがあるのではないでしょうか。「彫っていて楽しくて仕方がないんです。いつまでも何時間でも彫っていたい」
二代目として神尾印房を引き継いだのは平成18年(2006年)。神尾さん、26才でした。

 

 

 

 

 

 


蛙・カエルにこめられた思い


神尾印房には神尾さんの作品も展示されています。
特に印象的なのが作品名『蛙 ~井の中の蛙 繋げる想い~』と記された手彫ゴム印。私たち日本人にとって馴染み深いカエルは、生態系において重要なポジションにあります。しかし生息地の減少等により、百年以内に絶滅するという説も。神尾さんはカエルと印章彫刻士を重ね合わせ「カエルも伝統の匠の技も、きっと帰ってくる」と願いををこめてこの作品を作りました。

 

 

 

 

添書きにはこう記されています(一部抜粋)。
「井の中の蛙大海を知らず(されど空の高さを知る)。龍のように空高く飛ぶ日を思い描き、機械化の世界の井の中の蛙となっても僕は空を眺めたい。いつか次世代の子供に技術を伝える日がくる事を願いつつ・・・」
願いの実現に向けて神尾さんが行う活動の一つが「はんこ屋さんが教える消しゴムはんこ講座」の開講。そして「おかざき匠の会」のメンバーとして、伝統の技の継承と発展に精力的に取り組んでいます。

 

 

 

 

 

実は全技連マイスターに認定されるには、「職業能力開発促進法に基づき実施されている技能検定制度の特級・1級又は単一等級の試験に合格した技能士で、20年以上の実務経験と優れた技能及び活動実績を持ち、後進の育成並びに技能の伝承に熱心な技能士」という条件があります。当時35才だった神尾さんに20年のキャリアはありません。しかしおかざき匠の会のメンバーとして活動する姿勢が「後進の育成並びに技能の伝承に熱心な技能士」の部分で認められたのです。

 

 

 

「はんこ屋さんが教える消しゴムはんこ講座」の受講生の多くは子ども達です。ハンコ職人の存在を知らず、カッターさえ触ったことのない子も多いとか。「刃に触るとケガをするよ、血が出るよ」の神尾さんの言葉に「え~!?」と怯みます。しかし次第にのめり込み、一心不乱にハンコに向かいます。手彫りハンコの面白さに開眼したのでしょうか。中には素晴らしい才能の持ち主もいるとか。

 

 

 

 

いよいよ後継者の誕生でしょうか?という問いに、「いや、生半可な気持ちではできませんからね。一生を捧げる覚悟がなければ」。若き手印章彫刻士の決意を改めて見た思いでした。

 

 

【掲載日:平成29年12月27日】

 

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