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万足平の猪垣

インフォメーション
場所: 愛知県岡崎市中金町字万足平
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万足平の猪垣

約200年以上前に造られたという万足平の猪垣(まんぞくだいらのししがき)。これはイノシシやシカなどの作物を荒らす獣の侵入を防ぐことを目的とした石垣ですが、昔は人々の命を守ってくれ、今は人々を心のつないでくれる地域の宝物です。

 

 

 

村人の命を守るために
必死の思いで成した大事業


 本宮山の懐に抱かれ、のどかな風景が広がる山里、岡崎市中金町。戦国時代、この宮崎地域をはじめ三河で勢力を持っていた奥平氏と、今川方や武田方との激しい戦いが繰り返された歴史的に重要な場所でもあります。
 ここにある万足平の猪垣は、実は、戦よりも過酷だったかもしれない農民の暮らしの遺跡です。安定した作物の栽培が難しかった江戸時代、農民は領主による年貢の取り立てに苦しんでいました。そこに重ねて、暴風雨などの自然災害、ウンカなどの虫害、イノシシやシカなどの獣害による不作に悩まされていたのです。山あいの小規模な農地が不作になることは、村人に「死」を意識させる出来事でした。現に古文書には当時の飢饉や餓死者数などの記録があり、また獣害による不作や年貢の減免を庄屋から領主へ訴えた嘆願書なども残されています。村人が餓死する状況で、借金をしてまで猪垣を建造した村人たちの苦悩は計り知れません。猪垣は、人の命を守るために、人の命を賭けて造られた大切な防壁だったのです。


滝山の山影を映す万足平の水田。万足平の地名は、滝山の合戦で武田軍5000人の兵が侵入したことに由来するといわれ、「万足」は5000人の両足で1万の足、「平」は平坦な土地を意味しています


稲穂が揺れる晩夏の万足平。四季折々の表情を見せます


雪に覆われる冬の万足平


滝山の山頂(写真中央)にあった滝山城(亀穴城)。1573(天正元年)の滝山の合戦は、奥平氏が武田方から徳川方に寝返ったことで起こりましたが、奥平軍が武田軍を退けました


石垣の巨大さに目を奪われますが、その大きさは人命を守る先人の思いを表しているかのようです。現在の価値に換算して数十億円もの事業費がかかったと推測されています

 

 

万里の長城にも例えられる
壮大な石垣の見どころはココ


 万足平の猪垣は全長612m。宮崎地域を中心に男川上流域に残る総延長約50㎞の猪垣のなかでも、そして全国規模でみても、特に見事な県指定の有形民俗文化財です。その底部幅は約1m以上、上部幅は約0.6m、高さは約1.6m~2mと、台形の安定した構造となっています。積み上げられた石は平らに割れる性質を持った領家片麻岩(りょうけへんまがん)といい、この石がよく採れたこともここに壮大な石垣が造られた理由のひとつです。また猪垣には石垣が独立している両面石垣と、農地側の石垣が土手に支えられている片面土手の2種類があります


北は岩手県、南は沖縄県まで造られているという猪垣の中でも特に立派といわれています


領家片麻岩。領家帯と呼ばれる地質帯を構成する変成岩であり、縞状または平行な組織を有するので一方向に割れやすく、槌(つち)などを使えば平らなブロック状にできます


滝山のふもとにある宮崎神社の参道の石段も領家片麻岩です。お家や畑の石垣など、この辺りではごく普通に使用されています

両面石垣の猪垣の断面図

片面土手の猪垣の断面図

 

 

 「パッと見てすぐに帰っちゃうのは、ちょっと寂しいんだよね」と話してくれたのは「万足平を考える会」代表の梅村順一さん。「例えば、みなさんがよく目にする田んぼ側は、表裏でいえば裏側。表側である山手側も見てほしいんだよ」と。なるほど、では猪垣のぜひ見てほしい部分をご紹介していきましょう。まずは山手側ですが、こちらはイノシシが鼻や足でひっかけて崩さないように、積み方に滑らかさがあるのが特徴です。また獣が乗り越えられないように、山手に向かって反るように石を積む「猪返し」の工夫も見られます。ほかにも土台を支える根石、出入口である木戸、建造や修理の時に資材を運んだという車道など、たくさんの見どころがあります。


農地側よりも滑らかな造りの山手側。必見です


上部を反らせる工夫をした猪返し。接着剤も使用せずにこのように積むのはとても難しいそうです


土台を作るため縦に掘り立てられた根石


山手側と農地側を行き来するために設けられた木戸。写真は滝山荘の裏のもの。当時は木戸をくぐる辺りにイノシシ用の落とし穴も掘られていたそうです


車道と呼ばれる幅約1.2mの溝。石などの資材を積んだ台車を走らせた道として、また垣根に高さを出すために掘られたものと推測され、山手側から見ると石垣が高くなっています


県の有形民俗文化財の指定書。猪垣だけでなく車道や土手も含めているため、幅は3.2mまで指定されています

 

 


石積みが見せる表情に
時空を超えて感じる心


 この地域の猪垣の起源は定かではありませんが、古文書では、1710年(宝永7)に石原村でイノシシ被害があったという記述があり、また1803年(享和3)に獣を防ぐための石垣についての記述があることから、1803年以前に猪垣づくりが始まったと推測されています。
 万足平の猪垣は2度にわたって積まれています。「料理処 大松滝山荘」の裏にある木戸を境にして東側と西側に分かれており、東側の猪垣は1805年(文化2)の2月から百姓総出で1年足らずで造られたもの。また西側の猪垣は1832年(天保3)に亀穴(宮崎)の吉五郎という石積みの名人によって積まれたもので、隙間も少なく平行に積まれた石積みは一見の価値があります。


吉五郎による西側の猪垣。最近、シカによって一部を崩されてしまいましたが、木戸をくぐって右手にその石積みが見られます

 

 

 

 当時の石積み作業の分担については、宮崎の大雨河地区の記録が残っています。それによると田畑の広さ(=蒔くタネの量)に応じて、猪垣を造る長さが割り当てられたようで、作付け量の多い農民は多くの石を積まねばなりませんでした。共同作業でありながら個々のノルマもあったと考えると、場所によって石のサイズや積み方が異なる石積みの向こうに、積んだ人の性格や、その時の状況が見えてくるようです

小さい石ばかりが積み重ねられている部分も見られます。力のない子どもや女性が積んだのかもしれないと、想像して見るのも楽しいです


石垣が苔むしている部分は長い間、崩れずに保たれている証拠。江戸時代に積み上げられたところかもしれませんね


毎年6月には周辺にササユリが咲き、散策する人の目を楽しませてくれます

 

 

崩れても、壊れても
石を積み続け、はや10年


 さて「万足平を考える会」は、この猪垣の修復・保存を行っている団体です。メンバーは約30名。約200年間自然にさらされた猪垣の姿に危機感を感じた有志によって2005年(平成17)に発足しました。今では石積みや草刈りの活動を中心に、勉強会や講習会、体験学習などの企画を月1回以上のペースで開催して猪垣を守っています。
 猪垣は少し崩れただけでも、獣たちはそこを狙って通ろうとするため、一気に崩落が始まってしまうそうです。最近もシカが(おそらく100kg近くある成獣が何頭も)侵入し、石垣の上を走ったことで、石積み名人の吉五郎による西側の猪垣の一部が崩されてしまいました。崩れては積み…、壊れては積み…と、気の遠くなるような修復作業はこれからも続きます。


約10年前の猪垣の様子。古文書にも村人が猪垣の見回りをしていたという記録が残されています。建造と同じくらい維持管理が大変なことは、今も昔も変わりないようです

活動のメインである石積み作業の様子


安全に活動するために草刈りはとても大切な作業です


シカが石垣の上を走って崩してしまった部分の修復。講習会も兼ねた今回(2017年7月22日実施)は、重機も使って慎重に行われました。あうんの呼吸でテキパキと作業が進み、チームワークも抜群です


地元の宮崎小学校の児童が参加し、毎年11月に行われる「ふれあい体験学習」


石積みの体験を通して、次世代へも猪垣の大切さを伝えています

 

 

大がかりな大人の遊びで
人と地域がつながる


 炎天下での修復作業を終え「大がかりな大人の積み木遊びみたいでしょ」と、茶目っ気のある笑顔を見せる梅村さん。「猪垣の修復や保全活動は達成感があって、やりがい・いきがいも生まれるんだよ。先人の築きあげたものが、僕たちをつないでくれるのはうれしいことだし、今後も地域の能力を集結して取り組みたい」と、これからの活動を見据えて意気込みを語ってくれました。
 夏の懇親会では、みんなでワイワイと川原でのバーベキューをするのが恒例だとか。それを楽しそうに話してくれるメンバーのみなさんの純粋な心が活動を支えているのだと感じました。石をひとつひとつ積み上げる地道な活動の裏には、無心になれる志を持った仲間たちの姿がありました。


額田石材の石工さんによる石積みの講習会の後にパチリ。中央が梅村さん。みなさん、一仕事を終えた清々しい表情が素敵です

 

 

 

 

 

〇参考文献
「額田町史」/編集:額田町史編集委員会
「ふるさと読本 ぬかた」/編集:ふるさと読本ぬかた編集委員会
「額田町の石造文化財」/著者:池上年/発行:額田町教育委員会


〇お知らせ
万足平を考える会は仲間を募集しています。
■入会方法:電話にてお問い合わせのうえ、お申し込みください。
■代表:梅村順一
■電話:0564-83-2034


〇関連学区まちものリンク
宮崎学区 宮崎学区まちものがたり

 

〇ライター:小嶋かおり

愛知県豊田市(山間部)出身。三河を中心としたタウン誌の編集に始まり、フリーランスとなって東海地方の旅の情報誌を中心に執筆。生家を出て初めて住んだ場所も、高校も、初就職も、現在の出没地も岡崎…「隠れ岡崎市民」を自負しております。


〇掲載日
2017年9月21日

 

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