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六ツ美の賑わいの中心だった中島の街を訪ねて

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場所: 岡崎市中島町
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六ツ美の賑わいの中心だった中島の街を訪ねて

岡崎市の南西部にある中島町には、酒屋や味噌屋、呉服店や洋品店など約140軒もの商店がありました。岡崎市制100周年記念事業で作成した「六ツ美南部学区まちものがたり」のマップでは100年以上続く老舗について触れています。その一部を紹介します。

 

 

 

六ツ美地域の中心地だった中島の街

 

 1911年(明治44)に岡崎と西尾を結ぶ西尾軽便鉄道の中島駅が設置されると、中島町は駅を中心に賑わうようになります。近くの製糸所で働く女性も多く、彼女たちのおかげでますます活気づいていきました。

 「土呂西尾道」と呼ばれる広田川沿いの道がメインストリートで、この通り沿いに商店が集まりました。トップの写真(つるや提供)は「中嶋発展会」の商店主たち。悠紀斎田お田植えまつりののぼりが見えるので、1915年(大正4)に執り行われた大嘗祭悠紀斎田を記念した大売り出しかもしれません。お揃いのユニホームに三角帽子を被って自転車で回るなんて、何だか楽しそう。商店街がノリに乗っていた頃を垣間見ることができる貴重な写真です。

※天皇が即位した年に行う祭りを大嘗祭(だいじょうさい)といい、献上米を作る水田を斎田(さいでん)といいます。斎田は京都より西を「主基(すき)」、京都より東を「悠紀(ゆき)」と呼び、それぞれ1か所ずつ選定されます。この年、悠紀の斎田に六ツ美村が選ばれました。

 

土呂は福岡町にある土呂御坊(本宗寺)のある集落を指し、この道を北に進むと土呂御坊に行くことができました

 

 

菜種の集荷をしていたアブラ屋さん

 

 それでは、このメインストリート沿いの店を紹介していきましょう。まずは、「土呂西尾道」の道路標識の近くにある「アブ忠商店」。創業して100年以上経つ老舗で、店名は初代忠助と菜種油の「アブラ」が由来です。3代目の神取ふみ子さんの話によれば、当初は菜種の栽培農家から実を回収し、福岡町にある盛産社(現在の太田油脂株式会社)へ運ぶ仕事をしていたそうです。「回収に行く時は振り鐘を鳴らすんです。カラーンカラーンとよく響いていたのを思い出しますね。今は孫がおもちゃ代わりに遊んでいますよ」とふみ子さん。そうやって方々の農家を回っている時に「○○が欲しい」と注文を受けるようになり、生活雑貨も扱うようになりました。現在は生活雑貨のほか、文具や駄菓子も置いています。ぜひ覗いてみてください。

丸みを帯びた書体がかわいいレトロな看板は2代目が作ったもの

 

 

近江商人に起源をもつ酒屋さん

 

 次に伺ったのは酒屋さんです。商いを始めたのは江戸時代末期で、近江商人の末裔が居を構え、薬やみりん、酒などを取り扱っていました。「近江屋酒店」として酒の小売を始めたのは1893年(明治26)。酒屋の店主として4代目を引き継ぐ太田也寿志さんに話を聞くと、西尾軽便鉄道が走っていた頃に使用された通い瓶を見せてくれました。通い瓶は「通い徳利」とも呼び、これを店に持っていくとお酒を詰めてもらえました。店名や地名が書かれたものが多く、こちらには大きな文字で「中嶋駅前」と墨書きされています。裏側には「近江屋酒店」と店名も書かれており、宣伝効果も抜群です。

1.5升ほど入る大きな通い瓶

 


 太田さんは2000年(平成12)年から酒と音楽や絵画を楽しむ「Yy(わいわい)倶楽部」を始めています。会員になると新酒情報、試飲会などの情報がメール配信されます。入会するには年会費2000円が必要ですが、実はこれ、お酒との引換券なんです。会費を払うとその引き換えに太田さんおすすめの蔵元の地酒がもれなくいただけます。瓶もオリジナルラベルで、他では購入できないプレミアム感がうれしい限り。さらに市内外でお酒を絡めたさまざまなイベントも開催。お酒が好きなかた、音楽や絵画が好きなかた、店長と一緒にまったりお酒を楽しみましょう。

近江屋酒店オリジナルの日本酒。右のお酒には太田さんの奥さん手製のリボンアートが印刷されています

4代目の太田也寿志さん。酒器もいろいろと取り揃えています


近江屋酒店

 

 

創業は江戸時代、現在8代目となる村山医院

 

 さて、次は中島で古くから続いている医院を紹介します。村山医院は200余年にわたる医家で、現在は8代目の村山憲さんが引き継いでいます。祖先は源出羽守義隆(みなもとのでわのかみよしたか)。3代目の康政が1220年(承久2)に出羽国に戻って村山姓を名乗り、12代目の義長が1392年(明徳3)に三河に移ります。医家としての始まりは、1721年(享保6)生まれの村山義久で、医術を研究して医師になり、上中島村に開業しました(現在の中島町字上町)。医家として代々引き継ぎ、5代目の時に中島にあった代官屋敷を改築して下中島村に移転します(現在の中島町字薬師)。諸事情で元の場所に戻りますが、建物や陣屋門の一切も一緒に移し、その後に6代目が敷地内に新しく病院を建てました。

陣屋門の前で両手を挙げているのは8代目の村山憲さん


 憲さんが8代目を引き継いだ1984年(昭和59)、現在地の中島中町に移転新築し、鉄筋コンクリート造りの病院が完成します。7代目まで使われていた医院は寮として活用され、石垣島からやってきた看護婦を志す3人の女性が住んでいました。午前中は村山医院の准看護婦として働き、午後は岡崎市立看護専門学校で学び、晴れて正看護婦として巣立っていきました。
 次期を担う9代目も医師で、今は名古屋市内の病院に勤めています。地域のホームドクターとしての歴史はまだまだ続きます。

※保健師助産師看護師法の改正により、2002年(平成14)から看護婦の表記を看護師に変更。

 

村山医院(診療科目:内科・循環器内科・小児科)

 

 

洋々医館の分院を任された志賀医院

 

 次に紹介するのは志賀医院です。初代の志賀市三郎は1862年(文久2)に六ッ美村大字下青野に生まれ、鷲塚村(現在の碧南市鷲塚町)にあった洋式の仮診療所(後に洋々医館に改称)で西洋医学を学びます。さらに東京の順天堂医院で勉強を重ね、1890年(明治23)に医術開業試験に合格。中島の代官屋敷の跡地に建てられた洋々医館の分院で医師として勤めました。

後列の左から2番目が初代、志賀市三郎


市三郎が学んだ洋々医館の跡地。医学校の蜜蜂義塾も併設され、東海地方で医師を目指す者の多くが洋々医館で学んだそうです。1980年(昭和55)に閉館し、建物も解体されています

 


 その後、1897年(明治30)に分院を譲り受けた初代市三郎が江東医院(こうとういいん)と名付けて開業します。昭和に入ってから江東医院から志賀医院に改称し、1974年(昭和49)に志賀捷浩(かつひろ)さんが3代目を継承しました。

 広田川に架かる勅使橋から現在の志賀医院がある場所までが代官所の跡地だったらしく、当時の様子を思い出しながら話してくれました。 「今では想像できないかもしれませんが、現在の中島のバス停あたりから緩やかな坂が続き、右斜めにカーブしたところに正門がありました。今、駐車場になっている場所は築山のある庭園で、中央にハクモクレンの大木があり、八畳一間くらいの大きな枝ぶりを見せていました。今も残っていれば天然記念物になっていたかもしれません。医院の奥には松林が茂り、昆虫や植物採集には十分過ぎるほど。ここでよく遊びました」。

 4代目は現在、岡崎市民病院の医師として活躍しており、いずれは志賀医院を引き継ぐ予定だそうです。

志賀医院(診療科目:内科・小児科・消化器内科)。江東医院の由来は分からないが、捷浩さんいわく、「矢作川の東側にあるから江東医院と名付けたのでは」とのこと

3代目の志賀捷浩さん。手にしているのは初代市三郎と2代目都一(といち)の表札


 中島町にはこのほかにも歴史ある店や医院があるので、またの機会にお話を伺いたいものです。中嶋発展会の商店主らの集合写真をお借りしたつるやさんから聞いた話によれば、6月23日を「むつみ(623)の日」として、青いのぼり旗を掲げてセールを行っていた時期があったとか。「623」ののぼり旗、見てみたいです!

※地名表記「中嶋」と「中島」について。1906年(明治39)の市町村合併により、愛知県碧海郡中嶋村は愛知県碧海郡六ッ美村字中島となる。

※地名表記「六ッ美」と「六ツ美」について。1962年(昭和37)の市町村合併により、愛知県碧海郡六ッ美町は愛知県岡崎市となる。地名としての「六ッ美」は無くなり、固有名詞や通称としての「むつみ」は、「ツ」が大文字の「六ツ美」と表記される。

 

 

 

 

 

 

○取材協力 

アブ忠商店(所在地:岡崎市中島町字境2-2、電話:0564-43-2034) 

近江屋酒店(所在地:岡崎市中島町字境53、電話:0564-43-2016) 

村山医院(所在地:岡崎市中島中町4-1-1、電話:0564-43-2027) 

志賀医院(所在地:岡崎市中島町字薬師23、電話:0564-43-2015)

 

○参考文献
「岡崎市医師会史」/発行:岡崎市医師会
「六ツ美村誌」/発行:六ツ美地区総代会連絡協議会
「新編 岡崎市史 近代4」/発行:岡崎市
「碧南の医人展―医聖徳本・近藤坦平一族を中心に―」/発行:碧南市教育委員会文化財課

 

○関連学区まちものがたりリンク  六ツ美南部学区まちものがたり

 

○ライター:宮本真理子

愛知県尾張旭市出身。結婚を機に知立市に住みましたが、行きつけの店は岡崎に集中しています。好きなセレクトショップも美容院も和菓子屋も、両親が親しくしている眼科も岡崎。仕事関係なく、よく出没しています。

○掲載日 2017年10月3日

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