岡崎ルネサンス

岡崎の“〇”にナるまちのものがたり

民俗資料室になった木造校舎、矢作西小学校の江西館(こうせいかん)

インフォメーション
場所: 岡崎市宇頭町長合40
ホームページ:
民俗資料室になった木造校舎、矢作西小学校の江西館(こうせいかん)

 

岡崎市内ではほとんど見られなくなった木造校舎の一部が、岡崎市の西の玄関口に位置する矢作西小学校に保存されています。「江西館」と名付けられたその建物の中にはいったい何が…?

 

 

 


かつての学校建築を
今に伝える貴重な建物


 2017年1月発行の「岡崎まちものがたり」では、多くの学区が表紙の写真に小学校を取り上げています。やはり小学校は地域のシンボル。誰にとっても、何歳になっても、いろいろな思い出がぎっしり詰まった宝箱のような存在です。
 矢作西学区の「岡崎まちものがたり」でも小学校が表紙を飾りました。2014年の開校90周年を記念して校庭で作った人文字の空撮写真とともに、1932年(昭和7)建立の二宮金次郎像と、かつて使われていた木造校舎の一部を移築保存した「江西館」を掲載しました。
 矢作西小学校の卒業生なら誰でも知っているのですが、他校出身者にはほとんど知られていないのではないでしょうか。

 


横から見た江西館

 

 

 江西館があるのは国道1号に近い校庭の北東の隅。正面から見ると入母屋造りの屋根が前にせり出し、古いお寺の書院や庫裏の玄関にも見えてなかなかの風格です。しかし建物の両側は切妻造り。奥行きの割に正面から見たときの横幅は狭く、なんとも不思議な形です。
 実はこの建物、昔は横に長い平屋建ての校舎でした。移築保存に際して、下の写真の赤丸部を切り取ったのです。

 

昭和29年当時の矢作西小学校。校舎の配置が現在とは異なっています。右上に斜めに通る道が国道1号(提供:矢作西小学校)

 

 

 この部分は当時の校長室で、玄関の扉を開けるとすぐに校長室がありました。通常、この玄関を利用したのは校長先生に用がある来客のみで、児童は横長の校舎の真ん中あたりに設けられていた下駄箱のある出入り口から校舎に入っていました。
 威厳のある校長室の玄関は、子どもたちにとってちょっと近寄りがたかったかもしれません。しかし、クラスの記念写真や卒業写真はこの玄関の前に並んで撮影するのが矢作西小学校の伝統でした。

 


昭和33年度の入学記念写真。当時は全学年2クラスで、1組・2組ではなく「月組」「花組」と呼ばれていたとか(提供:井上正則さん)

 

 

 

開校60年の節目の年に
学区民の要望で誕生


 矢作西小学校が開校したのは1924年(大正13)。江西館は、そのとき建てられた校舎の一部です。木造校舎は1950年(昭和25)に増築され、以後も長きにわたり使われました。昭和40年代から50年代にかけて児童数の増加し、それに伴って鉄筋校舎が建設されることになり、解体が決まります。しかし、懐かしい校舎が消えてしまうことを惜しむ声が学区から挙がりました。
 話し合いの結果、シンボル的存在だった校長室だけを保存することでまとまります。そうして開校60周年記念事業として、その翌年にあたる1985年(昭和60)、江西館が誕生したのです。館名の「江」は矢作川の意味、つまり江西とは矢作西のことです。

 

精緻な造りの鬼瓦。真ん中に旧校章が見えます


江西館玄関の懸魚に取り付けられたかつている旧校章

 

 鬼瓦と懸魚(げぎょ)に注目してください。校章があしらわれています。でも、今の校章とちょっと違うような…。

 


現在の校章。ちなみに矢作北、矢作南、矢作東の校章も矢筈を交差させたデザイン

 

 現在の校章は、交差した矢筈(やはず)の真ん中に「西」の文字。これに対して旧校章の文字はローマ数字の「Ⅰ」です。これは、開校当初の校名が「矢作第一尋常小学校」だったから(第二は矢作北、第三は矢作南、第四は矢作東)。矢作西の校名が使われるのは1941年(昭和16)からです。

 

 


地域から寄贈された
貴重な民俗資料の数々


 では館内に入ってみましょう。正面入口は閉じられており、建物の側面から入ります。
 扉を開けると、そこにはさまざまな古いモノが所狭しと並んでいました。これらは学区のみなさんが寄贈したものです。

 


江西館の館内


非常に状態よく保存されている農具

 

 部屋の真ん中に置かれているのは「矢作消防組第四部」と記された腕用(わんよう)ポンプ。消防車が登場する以前に使われていた移動式消火器具で、「昭和十三年二月新調」と記された年季ものです。
 かつて稲作に使われていた農具も充実しています。千歯扱(せんばこき=稲の穂をこそぎ落とす道具)、除草機、唐箕(とうみ=米から籾殻を取り除く道具)、脱穀機など、いずれも矢作地区が一大農村地帯だったことを物語っています。
 そのほか、古い教科書や本、臼・釜・火鉢・陶器などの日常生活用具、ミシンや電話、出征兵士に贈られた武運長久祈願の寄せ書きを記した日章旗、戦時中の配給切符、古写真などなど、その多彩さに目を見張るばかり。
 この中から興味深いものをいくつかご紹介しまししょう。

 


こんなものを掲げて子供や夫を送り出す時代はもう来てほしくないですね

 これは戦時中、出征兵士の見送りに使われた幟(のぼり)。徴兵されて入営先に赴く時は、家族がこのような幟を立て、隣人たちとともに万歳三唱をして盛大に送り出したそうです。「祝」と書かれていますが、送り出す側の本当の気持ちはいかばかりだったでしょう。

 


欄外には「食防で戦い抜こう東亜戦」「一筋のウドンも銃後の小銃弾」という戦時スローガンも

 

 こちらは戦時中に配られたビラ。米を節約するため、米の代わりに「干しうどん」を推奨する内容で、おいしく食べるための調理方法が細かく記されています。

 


ちなみに鯛焼きマニアはまとめて焼くタイプを「養殖物」、この器具で一匹ずつ焼くタイプを「天然物」と呼び、天然物は珍重されるとか…

 

 どうしてこんなものが?という一品、鉄製の鯛焼き機。今の鯛焼きはほとんどが何個かをまとめて焼く鉄板タイプがですが、これは一個(一匹?)ずつ焼く道具です。かつてお店を経営されていた方からの寄贈品でしょうか。

 


どうやって使うのか一見しただけではまったくわかりません


メーカーは旧碧海郡矢作町内にあった佐野農具製作所。「新案特許」の番号も記されており、画期的な製品だったようです

 

 農具からはこの一点を。取り付けられているメーカーの銘板には「深耕犁(しんこうすき)」とあります。耕運機がなかった時代、牛に曳かせて田んぼを深く耕すのに使った道具のようです。
 江西館は、ともすれば失われてしまったかもしれない貴重な民俗資料が、地元の人々の手によって後世に伝えられている素晴らしい施設です。ぜひこれからも保存・活用を続けてほしいですね。

 

 

 

 


○関連学区まちものがたりリンク  矢作西学区まちものがたり

 

○ライター:内藤昌康
1971年生まれ、岐阜県出身・西三河在住。高校時代、西岡崎駅や愛知環状鉄道の開業初日を見届けるため岐阜からわざわざ岡崎を訪れた経験を持つ岡崎マニア。遠隔地で岡崎産石造物を探して原稿を書くのが趣味。

 

〇掲載日

2017年10月11日

 

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