岡崎ルネサンス

岡崎の“〇”にナるまちのものがたり

六ツ美の名を全国に知らしめた菜種(なたね)

インフォメーション
場所: 岡崎市福岡町字下荒追28(太田油脂株式会社直売店「あぶら館」)
ホームページ: http://www.ohtaoilmill.co.jp/
六ツ美の名を全国に知らしめた菜種(なたね)

菜の花はアブラナ科アブラナ属の花の総称で、菜種油の原料に使われるので菜種とも呼ばれます。とはいっても菜種って何?どうやって油になるの?など、六ツ美の歴史を語るのに外すことのできない菜種の秘密に迫ります。
 
 

菜種の収穫量を増やした
農業補習学校教員の太田功平

 
 「六ツ美の菜種か、菜種の六ツ美か」、六ツ美の歴史を調べると何度も目にする言葉です。かつて六ツ美は全国でも知られる菜種の一大産地でした。春になればあたり一面、菜の花畑が広がり、黄色いじゅうたんのようだったと昔を知る人はいいます。
 六ツ美では米の裏作にレンゲや菜種が古くから栽培されていましたが、とりたてて重要視される作物ではありませんでした。菜種油の需要が増加したのは、化学工業が発展した昭和初期。しかし、収穫量が見込める品種や栽培方法、病虫害予防法など分からないことばかりでした。
 この状況を何とかしようと立ち上がったのが太田功平さんでした。1893年(明治26年)、碧海郡中井村(今回の取材では現在の土井町と推認)で生まれた功平さんは師範学校を卒業後、尋常小学校の教員を十数年間、勤めていました。1927年(昭和2年)、六ツ美村立農業補習学校校長の長谷川一男さんに招かれて、教頭になります。功平さんは仲間の教員らとともに菜種栽培の文献をあさり、試験栽培を行いながら菜種の特性を調べました。菜種の買付に訪れた大阪の吉原製油会社は研究費の援助を申し出ます。この資金をもとに、苗の特性、肥料などを調査し、研究結果を一冊の本にまとめました。
太田功平さん。非常にマメな人だったようで、自らの学業、業務、賞罰などを綴った履歴書も残されています
太田油脂株式会社の資料室に保管されていた「蕓薹研究」(昭和5年発刊)。蕓薹(うんだい)は菜種の漢名。愛知県六ツ美農業補習学校著とありますが、功平さんが中心となってまとめたものだと思われます
 
 

 昭和4年には「六ツ美種」という新品種を開発します。含油分の多い優良品種で、全国各地に普及しました。その後も高松宮殿下や牧野内大臣らが菜種栽培の視察に訪れるなど、六ツ美の菜種は次第に全国に知られるようになります。
 そんな矢先、功平さんは交通事故に遭い、帰らぬ人となります。37歳の短すぎる生涯でしたが菜種栽培の研究は引き継がれ、六ツ美の菜種はさらに発展していきました。
 
 
 
 
六ツ美の隣、福岡町で
あぶら屋を始めた太田幸平
 
 六ツ美は菜種の産地として全国に名を知られるようになります。六ツ美村の隣町、福岡町で桑苗やれんげの種子、菜種の卸売業をしていた盛産社も搾油業に着手します。長年、菜種を取り扱っていたこと、菜種の一大生産地がそばにあることが決め手になりました。
 盛産社は明治35年に創業、創業者は太田幸平さんです。なんと、漢字は一文字違いますが、菜種の研究に勤しんだ功平さんと同姓同名です。菜種の搾油機は九州の石橋鉄工所から石橋式玉締機を買い揃え、工場設備を整えます。昭和12年9月、太田製油所と名を改めました。
 菜種は戦後も盛んに栽培され、搾油業も好調。製油メーカーとして大きく成長した太田製油所は昭和22年、太田油脂工業株式会社を設立します。6月の収穫シーズンには農協や出荷業者、周辺の農家から太田油脂の工場に菜種が持ち込まれました。
太田油脂株式会社直売店「あぶら館」の入口に展示されている石橋式玉締機

戦後しばらくは量り売りでした。大豆油・菜種油・白絞油の3種から油を選び、柄杓(ひしゃく)ですくって枡で量り、ジョウゴで容器に入れました

菜の花畑に囲まれた昭和35年の太田油脂本社
昭和31年の全国菜種作付番付。横綱の鹿児島に次ぎ、愛知が大関として名乗りを上げています
※太田油脂株式会社の『社史 85年のあゆみ』より抜粋
 
 
 
 
 
太田油脂工場で
油の生搾りを体験
 
 昭和31年をピークに菜種の生産量は急激に減少します。昭和38年の長雨被害、高度経済成長による農業労働者の不足が原因でした。昭和40年代後半には菜の花畑すら見られなくなりました。
 その後の菜種はどうなったのでしょう。現在、菜種の多くは海外から輸入し、国内では北海道や東北、九州などで栽培されています。太田油脂工業株式会社は昭和44年に太田油脂株式会社と名を改めました。現在は菜種油のほか、コーン油、えごま油、落花生油などを主力製品に、岡崎のあぶら屋さんとして知られています。
 太田油脂では平成27年から一般向けの工場見学も開始しました。工場見学では油の生搾りが体験できます。生搾り体験は通常ゴマを使うそうですが、特別に菜種を用意してもらい、体験してきました。
 菜種100g強を容器に入れ、圧搾機を上下に動かして圧力をかけ、油を搾ります。圧力をかけていくとレバーが徐々に重くなります。搾られた油はほんのわずか。色はなんと、菜の花色をしていました!搾りたての油はさらりとしていて味が濃く、おいしいものだなぁと感じました。

これが菜種。ゴマよりも小さく、ゴマよりも固い

容器に菜種をざっと入れます

種が入った容器に重しをのせます

圧搾機の準備完了

搾り始めはレバーが軽いので、ゆっくり動かします
菜の花色の油がにじみ出てきました!
約100gの菜種から搾られた油は小さじ1杯あるかないか

6種類のオイルテイスティングもできます
 
 
 

残った粕も栄養満点!
盆栽の肥料におすすめです
 
 工場見学担当の市川さんに話をうかがうと菜種は約40%が油分で、油として出てくるのは全体の32%しか搾られないそう。つまり、搾った後の油粕にも油やその他の栄養が含まれているんです。
 この菜種の油粕は昔から良質な肥料として重宝されていました。六ツ美村立農業補習学校の校長、長谷川一男さんが昭和10年にまとめた『菜種栽培之研究』にも「ナスの色味が良い」「葉タバコの香りが良くなる」と書かれています。


太田油脂で販売している菜種の油粕「マルタ玉肥」
 
 
 
まだある!
菜種油のこんな使い方
 
 『菜種栽培之研究』には菜種油の用途について以下のように記されています。

1.食用…揚げ油、ケンチン煮
2.工業用…機械重要部分の減摩、大砲などの焼き入れ、油磨、織物の艶付け、金属の艶出し錆止め、漆器の艶付け
3.工業原料…石鹸、人造ゴム、製墨・印肉
4.その他…頭髪、燈火、火傷の緩和や軟膏
 
 菜種油の用途の幅広さには驚くばかりです。ちなみに現在、太田油脂の菜種油は食用油のほか、御燈明油、バイオディーゼル燃料として使われています。御燈明油の歴史は古く、昭和24年から宮内庁へ、昭和37年から伊勢神宮に納入し、愛用されています。岡崎の誇るべき製油メーカーです。その背景には六ツ美の菜種が大きく関係していました。
御燈明油は国産菜種を用いた圧搾一番しぼり。
 
 
 
 
 
○参考文献:
「菜種栽培之研究」/著者:長谷川一男/発行:農林堂
「社史 85年のあゆみ」/発行:太田油脂株式会社
「岡崎の人物史」/編集:「岡崎の人物史」編集委員会
「目で見る岡崎・額田の100年-岡崎市・幸田町・額田町」/発行:郷土出版社
 
○ご案内
太田油脂株式会社直売店「あぶら館」
■所在地:岡崎市福岡町字下荒追28
■電話:0564-51-9521
■工場見学:火曜日~金曜日の10:30~12:00、13:30~16:00 ※祝日は除く
■料金:無料
※見学希望日の2週間前までにホームページまたは電話にて申込み
 
○関連学区まちものがたりリンク
六ツ美中部学区 六ツ美中部学区まちものがたり

※地名表記「六ッ美」と「六ツ美」について。1962年(昭和37)の市町村合併により、愛知県碧海郡六ッ美町は愛知県岡崎市となる。地名としての「六ッ美」は無くなり、固有名詞や通称としての「むつみ」は、「ツ」が大文字の「六ツ美」と表記される。
 
 
〇ライター:宮本真理子
愛知県尾張旭市出身。結婚を機に知立市に住みましたが、行きつけの店は岡崎に集中しています。好きなセレクトショップも美容院も和菓子屋も、両親が親しくしている眼科も岡崎。仕事関係なく、よく出没しています。
〇掲載日
2018年1月12日(最終修正日2018年2月5日)
 

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