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人々を魅了し続ける山中城址

インフォメーション
場所: 岡崎市舞木町字城山
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人々を魅了し続ける山中城址

山中城址は戦国時代に築かれた県下最大級の山城の城址です。本丸(主郭)、二の丸(二の郭)、曲輪(くるわ)、竪堀(かたぼり)などの遺構があり、歴史ファンだけでなく地域の人々にも親しまれてきました。平成30年1月には北側からのルートも整備され、ますます城址巡りが楽しくなりそうです。
 
 
 
 
 
戦国時代の山城、山中城址
 
 山中城は標高196mの通称、城山(舞木町字城山)の山頂尾根一帯に築かれた山城です。築城者や築城年については資料が乏しいため明らかになっていませんが、大永4年(1524年)に岡崎城を築いた西郷氏と松平清康(家康の祖父)が争った場所です。
 規模は東西約400m、南北約200mに及び、県下最大級の城域を誇ります。城域には本丸が攻め落とされないように設けられた要塞がいくつもありました。その一つが曲輪(くるわ)。山を削って平らにした場所で、攻防の役割を果たしました。山中城址には帯曲輪(細長い帯状の曲輪)や腰曲輪(一段低く、細長い曲輪)の跡が多く見られます。

山頂中央部の矢印で示した部分が本丸になります
 
堀切は尾根筋を断ち切るように設けられた場所で、攻防の役割を果たしました

曲輪は山の斜面を削り取り、意図的に作られた平坦な場所です
 
 
 
昭和35年、高校生が実地調査に挑む
 
 解明されていないことが多い山中城址ですが、だからこそ歴史的ロマンにあふれているともいえます。昭和35年(1960年)8月には、県立岡崎工業高等学校の郷土資料クラブの生徒たちが山中城址の現地調査に挑みました。土木科があったので、測量機などの必要な道具類は揃っています。同校の志賀清教諭、日本考古学協会の池上年さんも同行し、夏休み期間の8月3日から5日までの3日間、山中城址の規模、形態を調べて測量やスケッチを行いました。
岡崎工業高等学校の郷土資料クラブの生徒たちが描いた「山中古城跡図」
※愛知県立岡崎工業高等学校が発行した『松平氏』より抜粋

 
 
 当時の生徒たちの活動は中部日本新聞の三河版にも写真付きで紹介されました。その後も松平城跡、岩津城跡、安祥城跡、岡崎城跡の実測調査を続け、『松平氏』と名付けた冊子に調査内容をまとめています。これらの活動が歴史的遺産の価値を高めたのか、昭和37年(1962年)、山中城址は市の文化財に指定されました。
 
 
 
昭和57年、航空写真による測量を行う
 
 昭和57年(1982年)には航空写真を用いた測量が行われました。これによって実測平面図が作成されます。この平面図と古城研究家の見崎鬨雄氏(みさきときお)の図を参照に、城郭考古学者の千田嘉博(せんだよしひろ)氏が作成した縄張図が完成しました。同年には山中城址遊歩道が整備され、「舞木口」と「羽栗口」から本丸へ行けるようになりました。
「新編岡崎市史 中世」P1124より抜粋した「山中城縄張図」。岡崎工業高等学校の郷土資料クラブの生徒たちが作成した図と比べると中央部が突き出ています

県道324号沿いの羽栗病院の斜め前の山中城址遊歩道の案内看板から歩くと「舞木口」に到達します

舞木口から約900m西にある「羽栗口」
 
 
 
平成28年、山中城址遊歩道の整備が始まる
 
 地域の歴史遺産として大切にされてきた山中城址ですが、ここ最近は「かつての見晴らしの良さがなくなっている」、「本宮山、御嶽山、山中の街並みが見えない」、「雑木が生え、城郭の姿が分からない」などの問題を抱えていました。
 そこで、平成28年から山中学区総出で、計画的に環境整備を行うことになりました。遺構を壊さないよう配慮しながら、草刈りや雑木の伐採を行い、遺構の各所に看板や幟旗を設置。平成29年4月には山中城址保存会も発足し、平成30年1月までに大掛かりな整備を終えることができました。

雑木を刈り取る山中学区のみなさん
 
見通しが良くなり、山中小学校も眺められます

本丸までの遊歩道も綺麗になりました

山中城址の本丸。ところどころにベンチも置かれ、くつろげます
 
 
 
もう1つのルート、城山口
 
 山中城址遊歩道の主要ルートは舞木口と羽栗口の二つでしたが、これまでほとんど知られていなかった北側からのルートも見直すことになりました。平成29年の8月末、北側のルート「城山口」周辺がどのような状態なのか現地調査を行いました。すると登り口は草木が生え放題で、どこに道があるのか判別できないほど。そこで秋から急ピッチで草刈りや伐採を行い、急な斜面にはロープを取り付けるなどして、安全に通れるように整備しました。

舞木口から本丸までは片道約20分、羽栗口からは片道約15分、城山口からは片道約10分
整備前の登り口
 整備後の登り口

整備前はあちこちに倒木がありました

倒木を除去し、足を滑らせそうな場所にはロープを取り付けました
 
 

山中城址保存会の一員、
小林清司さんが調査した本に!
 
 今年(平成30年)2月に開催された山中学区の恒例行事「歩け歩け大会(交通安全総決起大会)」では北側からのルート「城山口」が採用されました。その時に参加者に配布された地図は、山中城址保存会の一員、小林清司さんが描いたものです。

北側のルート「城山口」から見た山中城縄張図
 
 岡崎市の図書館に勤務していた頃から、故郷の歴史遺産である山中城址を調査したいと思っていた小林さん。平成28年、池金町の副総代になったことをきっかけに独自に調査を始めました。自作の地図とカメラを片手に十数回登り、とにかく全体像を把握するために山中城址周辺を隈なく歩き回ったそうです。

使い込まれた自作の地図

水彩絵の具と蛍光ペンで描いた13枚の鳥瞰図
 
 山中城址を訪れる人たちにわかりやすく説明したい。その一心で山中城址の鳥瞰図や断面図も描きました。それらを自宅のパソコンで印刷し、糸で綴じ、表と裏表紙は布地で装丁して仕上げ、平成29年11月、『山中城についての一考察』第1号が完成しました。自分の足で、一つ一つ確かめながらまとめた本書のなかには、小林さんが発見した山中城址の新しい見方も記されています。岡崎市東部地域交流センター・むらさきかん、東部地域福祉センターで閲覧することができるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
 
裏と表の布地も、小林さんが一つずつ選んでいます
「山中城についての一考察」を手にする小林清司さん

 
 城山口の登り口は、豊田バンモップスカスタマーセンター(岡崎市舞木町城山1-55)の西側に広がる田んぼの奥にあります。なお、山中城址の登り口には駐車場はありません。最寄り駅の名鉄名古屋本線「名電山中」駅から城山口までは徒歩約20分、舞木口までは徒歩約15分、羽栗口までは徒歩約25分。周辺には売店もないので、水や食料も忘れずに! 
 
 
 
 
 

〇山中城址data
■所在地:岡崎市舞木町字城山
■アクセス:名鉄名古屋本線名電山中駅から城山口まで徒歩約20分、舞木口まで徒歩約15分、羽栗口まで徒歩約25分

 

〇ご案内
書籍「山中城についての一考察」に関する問合せ先
■電話:0564‐48‐5227(小林清司)

 

〇参考文献:
「新編岡崎市史 中世 2」/発行:新編岡崎市史編纂委員会
「ふるさとやまなか」/発行:岡崎市立山中小学校
「松平氏」/編集:愛知県立岡崎工業高等学校郷土資料クラブ/発行:愛知県立岡崎工業高等学校
「山中城」/著者:池上年/発行:岡崎文化財研究会
「山中城についての一考察」/著者:小林清司

 

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〇ライター:宮本真理子
愛知県尾張旭市出身。結婚を機に知立市に住みましたが、行きつけの店は岡崎に集中しています。好きなセレクトショップも美容院も和菓子屋も、両親が親しくしている眼科も岡崎。仕事関係なく、よく出没しています。


〇​掲載日(2018年2月13日)

 
 
 
 
 

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