岡崎ルネサンス

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江戸時代から受け継がれる 夏の伝統行事「竿灯祭り」

インフォメーション
場所: 愛知県岡崎市羽栗町(熊野神社)
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江戸時代から受け継がれる 夏の伝統行事「竿灯祭り」

7月下旬の夜、山中学区の羽栗町で竿灯祭りと呼ばれる天王祭りが行われます。田畑が広がる山裾の農道を竿灯がゆっくりと進む様子は幻想的で、一度見たら忘れられません。
 
 
 
疫病除けとして始まった竿灯祭り
 
 竿灯(かんとう)祭りは岡崎市羽栗町に鎮座する須佐之男社(すさのおしゃ)の祭りです。熊野神社の境内の一角にある小さな社で、天王社とも呼ばれています。
 祭りの起源は江戸時代の
1773年安永2年)、疫病除けの神様である牛頭天王を津島神社から分霊して祀ったのが始まり。その後、1845年弘化2年)より、疫病除けと虫送り行事として祭りが行われるようになりました。
 虫送りは田畑の害虫を退治するための伝統行事で、春から夏にかけて全国各地の農村で行われていました。しかし、時代とともに縮小され、竿灯行列を行う虫送りは西三河では羽栗町でしか見られません。
1436年(永享8年)に創建された熊野神社
須佐之男社(天王社)
 
 
 
提灯を見れば、町の歴史が見えてくる
 
 竿灯祭りは羽栗町の住民で執り行っています。かつては町内を8つに分けた組で行っていましたが、1971年(昭和46年)に羽栗団地が完成し、新しく5つの組が加わりました。
 竿灯には12個の提灯が吊り下がっています。これは1年12か月を表し、1年間の安全を祈願するもの。それぞれの提灯には組の数字や町名が書かれています。
 例えば、4組の提灯は「との」。4組に住まいがある長坂博幸さんにお話を伺うと、このあたりには家康の祖父、松平清康が山中城を攻略の際にしばらく住んでいたという言い伝えがあり、地元では「殿屋敷」と呼ばれているそうです。このほかにも住所や地図上に記載されない町名を記した提灯があるので由来を聞いてみてください。
4組の提灯

最上部の梵天には組の願いが書かれる

羽栗団地の提灯

お話を聞かせてくれた長坂博幸さん
 
 

夏の夜、提灯の明かりが闇に浮かぶ
 
 竿灯祭りは毎年7月最終土曜日の夕方18時半頃から始まります。各組の竿灯は、町はずれの羽栗川沿いに設けた御旅所(神様が巡幸の途中に休まれる場所)で神輿の到着を待ちます。須佐之男社で神事を終えた神輿が19時過ぎに到着し、13組の竿灯の提灯に火が灯されます。

山中城址の麓で繰り広げられる

19時過ぎに神輿が御旅所に到着

神火(しんび)で各組の竿灯に火が灯る
 
 
 
 竿灯に火が灯れば、竿灯行列が動き出します。目指す場所は約1キロ先の須佐之男社。先頭は13組の竿灯のうちの半数で、中央に神輿、後列に残りの竿灯が続きます。笛や太鼓などのお囃子や掛け声はなく、羽栗川に沿った農道をただただ静かに進むのみ。ぼんやりと明るかった空が次第に暗くなり、気が付けば山と空との境界線が分からなくなるほど真っ暗に。暗闇に提灯の明かりが浮かび上がる様は幻想的で、日中の暑さを忘れさせてくれます。
羽栗川に沿って進む竿灯行列
 
 
 
 20時過ぎ頃、途中の休憩場で花火が40発ほど打ち上げられます。その後、再び竿灯行列が動き出します。21時近くに神輿が社殿に戻ると、お供えの赤飯やお菓子などがふるまわれ、祭りは終了です。
 かつては青年団が祭りを支えていましたが、今は還暦を過ぎた人が大半。重たい竿灯を持って歩くのは体力的に大変なので、竿灯を台車に乗せるなど工夫しながら行っています。
 祭りを盛り上げてくれる見物人も大歓迎。竿灯の後ろを付いて歩くのもよし、少し離れた場所から竿灯を眺めるのもよし。竿灯の明かりを見ているだけで心が癒されるはずです。
花火打ち上げ中に神輿に手を合わせる

数年前は竿灯を持って歩いていた
 
 
 
 
 
 
〇参考文献:「ふるさと山中」/編集:ふるさと山中編集委員会
 
竿灯祭りdata
■日時:毎年7月最終土曜(平成30年は7月29日)18:30~21:30
■場所:羽栗町一帯、熊野神社

    
〇関連学区まちものリンク
山中学区 山中学区まちものがたり
 
〇公開日:2018年5月21日(最終修正日2018年5月23日)

 

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